三軸修正法黎明期
「これからまくタネ」 21〜25
池上悟朗


「これからまくタネ」は、演出上動画を組み込んでおります
ご覧になる方の環境によっては、「かなり重い」場合もあると思われますがご了承下さい。


「これからまくタネ」 21
「検査入院」

さて、左手の感覚がおかしくなってきて、これは普通じゃなさそうだと言うことになり とりあえず原因不明のまま整形外科に入院することになりました。原因が分からないので まずは検査のための入院だったはずです。ずっと父に怒られる毎日で、心の中に非常用の シェルターを作っていたり、食べ物が消化できずに激やせした私が検査のために家から 離れて過ごした数日間をどんな気分で過ごしたかは想像してください。病院は天国です。 父が居ないということは、緊張の糸がぴーんと張りっぱなしで、学校ではお腹をこわして いるのでトイレの心配をし、家が近づくと気分がすぐれなくなってきて、父が居る居間の 横を通って裏口までの距離は用事が無くても走って通過、びくびくしっぱなしの24時間 とはお別れです。 ほとんど時間は好きな読書で過ごせて、お医者さんや看護婦さんから「ちょっとチクッと するよ」なんて一日に数回言われるだけで「後ろに手を組め!」なんてこと絶対に言わな いしね。この幸せが続くなら具合が悪くでも何でもなりましょう!って思いたくなる夢の 数日間でした。  

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「これからまくタネ」 22
 「検査漬け」  

  入院して調べても決定的な原因が分からないので、大病院へ精密検査に通う様になります。 レントゲンしかない時代に脳腫瘍を確定することは大変難しいことで、結局最後は頭蓋 骨を開いて中をみないと本当のことはわからないわけです。とても小さい腫瘍でも表面 に障害が及ぶ場合もあるらしく。手術をするにも「どこ」を開けるのか特定しないといけな いのですからハッキリした腫瘍そのものが写らない場合なにも出来ないのです。脳腫瘍を 疑われたまま近くの大学病院で検査に次ぐ検査を受けることになります。筋電図をはじめ とする本当にたくさんの検査を次から次に受けてゆきます。母とふたり半日がかりで検査 を受けるのですが、小学生にはとてもきつい検査もあるのです。つらさの横綱はなんと言 っても髄液のサンプルを取ることですね。ベッドに横になって膝を抱えて丸くなります と腰の辺に簡単に麻酔をかけて脊椎に太い注射針が入ってきます。「つんっ」とどこか冷 たいような妙な感覚が全身に走り、鼻から自然に「むーっ!」と声が出てしまいます。 私には最上級の恐ろしさでしたよ。それから何度も取った「筋電図」ですか今はきっと 他の方法があるのだと思いますが、全身の至る所にちょっとずつ針治療みたいに電線の ついた針を刺すんです。針が刺さったまま体を動かして検査するんですが、実際の痛さ より沢山電線付きの針が刺さった自分が恐いです。

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「これからまくタネ」 23
「左手が動かない」

 最初はそんなつもりでは無かったのですが、私はすっかり病人でいることの都合の良さに慣れてきてしまいました。大学病院にも長いこと通い続けるとだんだんその「病人」が板に付いてきてしまいます。病人のように話し、病人のように歩き、病人の気分で大学病院に通ううちにだんだん左半身が動かないことを信じきってしまったのかもしれません。
 ある時点で自分でも驚くことになるのですが、(ホントの本当に!!)左半身が動かくなってしまったのです。!!!!前にも書きましたが「こっちの手をつねってもあまり痛くないんだね?」とか「左手が動かしにくいんだよね。」とか医者から聞かれる度に「はい。」「ハイ。」と何度もなんども答えました。これが暗示になったのかもしれません。このころから、さすがに「楽だ」なんて言っていられなくなります。本を読もうと思うけれど左手で支えていられないのです。歩くのになんとなく真っ直ぐ進めなくなってきました。ほとんど体を動かさないから血行も悪かったでしょうし、リンパも流れが悪いでしょうし、食欲もでないですしね。病気そのもの以外の意味でも具合が悪くなっていったのでしょうね。
 とにかく徐々に自分自身の心が沈んできます。医者の対応や両親の様子からも「僕はホントに病気なんだ。」「かなり悪いみたいだ」と勘ぐったりするようになります。 父に怒られ続けるのはもちろん怖かったですが、今度は病気への恐怖感がこみ上げてきます。一度はとても快適なところへ逃げたつもりなのに、気がつくと状況が前よりひどくなっています。このころ強度の花粉症でもあったので、息苦しさも加わってほんとに辛い。

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「これからまくタネ」 24
「お手上げ」

 いよいよ見た目も病人だし、当然のように心の中も病気の蜘蛛がびっしり巣を張っている。両親の様子もどうも芳しくなさそうだし、Xデーは着実に近づいているようです
 あとから聞いた話ですが、両親は地元の大学病院で「脳手術」を覚悟すように言われていたらしいです。その手術は、最初にも書きましたが、たとえ成功しても完全に元に戻るかどうかわからない手術で、患部が深ければ植物状態です。おまけに大変なお金が必要な手術だったそうです。両親はそのころ「ホワイトクリスマス」という映画を見て、それはどうも死期の迫った白血病の子供に好きなことを何でもしてやろうという話だったらしいですが、本気でそうしようかとも考えたようです。(実際には極端に甘やかされたことはありませんでした。残念!)映画の子供の両親と同じような心境だったかもしれません。それほど病状は悪かったのです。
 その頃病人の私自身はどんな心持ちだったのか、今となってはすべてが作り話になってしまうかもしれませんが「なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだろう」「こんな人生をやるために生まれたんだろうか」というようなことを考えていたと思います。もしそのとき突然病気が直っても、こんなに何年も具合が悪くて寝ていたために失った時間は取り戻せないじゃないですか。勉強のことだけとっても取り戻すのは容易じゃないし、こんな体で今からじゃいくら練習しても運動選手にはなれっこないし。もうこうなったら死んじゃってもう一度生まれ変わったほうがましかもしれないな。とかそんなような心持ちだったと思います。こういう気分の時、今の自分には何も出来ないと思えば思うほど、将来を夢見る内容はどんどん現実から離れてゆきます。明日、突然拍手喝采の嵐の中舞台に立っていたいなとかね。だからますますイヤになる。あまり誰とも口を利くことすら煩わしいです。

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「これからまくタネ」 25
「東京へ」

 さて、私の両親は地元の大学病院でお手上げ、「正直言って壁にぶつかりました。」と伝えられその病院の紹介で東大病院に行くことになりました。そこで同じように脳の問題ですといわれたら脳外科手術が決定です。あるいは何もしないで最期を待つか。親子3人風呂敷包みにたくさんの検査資料を病院から預かり、電車で東京へ向かいました。
 今から思えばそんなとき妹と弟はどうしていたんだろう。私は自分自身のことしか考えていなかったけどずいぶんみんなに迷惑掛けていたんでしょうね。病人って本当に自分勝手ですね、自分だけがかわいそうで、周りはみんな幸せなんだと思っていたんだから。左手に比べて足は歩けないほどではない状態だったので電車から降りて駅などで歩く必要のある場所は自分で歩こうとしたのですが、父がちょっと怒りながら背負っていくと言って、結局負ぶわれていくことになりました。そのとき本当は自分一人で歩きたかったことをなぜか覚えています。両親はそれどころではありません。
 最後の宣告を受けるかもしれない旅行は窓の外がとても眩しかったように記憶しています。そのころ東京へ行くということはちょっと特別のことで、普通なら楽しいはずの道中、両親はなにを考えていたのでしょうか?私みたいに一人で現実から逃げていく訳にはいきませんね。診断結果によってそのとき進むべき方向は最初から決めていたのだと思います。もう考えてもどうしようもないですからね。ただただ日本で最高の大学病院で初めて会う先生がどんな診断結果を告げるか待っているだけです。

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